2017/09/11

生前会ったこともなく、血の繋がりも無い人の葬儀に行くことになった。当然、当日の朝に準備する。俺はそういう人間で、俺が選んだ、俺の生き方だから。

喪服は妹の部屋のハンガーにかかっていた。
黒い靴。いつもブカブカのパンプスを買ってしまう。スニーカーばかり履いてるせいで、スニーカーの履き心地を基準に選んでしまうせいだ。
妹の喪服用のパンプスを勝手に借りることにする。
ブカブカの靴たちはブカブカゆえほとんど履いてないので、ブックオフに売ろう、そう言ってずっとしまいこんである。
今日もそっとしまいこんだ。

葬式用のバッグ。前回の葬儀のときAmazonで買ったが、どこにあるか見当もつかない。葬式の後は疲れ切ってその辺に投げ捨ててしまうからだ。
ものごとの後始末とか片付けとか、あたりまえのことがあたりまえに出来ない。
さっさと諦めて手ぶらで参列することにする。

ストッキングはあらかじめドンキで買っておいた。よく見たらLLサイズだった。私が珍しく準備良い時は大体こうなる。まあ大丈夫だろう。

 

整体受けようね

整体はよい。身体が楽になる。

身体が楽になるのはよい。たぶん。辛いのよりは、よいはず。


ものごころ付いた時には身体のどこかがいつも痛かった。よくぶつけるし、よく捻る。

行きつけだったカイロプラクティックの先生は、「若いのにこんなに凝っている」と訝しんだ。

膝の怪我をきっかけに地元の激安整骨院に通うようになり、そこの整復師さんたちも絶句させた私の身体よ。

背筋を痛いほど伸ばして座る、お腹に思い切り力を入れて立つ、膝の向きは正しいか気にしながら歩くなど、私は身体に常にフィードバックを求めながら生活していた。今も多少している。

おそらく多くの人が無意識に調節している筋肉や骨を、意識したり緊張させたりしないと怖かった。

身体はとても近くてとても遠い。自分の目で見られるのはほんの一部だ。手のひらで触ることすらできない部分も多くある。

緊張させたり意識しなければ、あるのかないのかもわからない。わからないのに他人から見たらわたしの一部だ。理不尽だ。私たちは身体といいう刑に処せられている。って誰が言ってたか。


あと身体をどう動かしていいかもわからない。ボール投げや、荷物を持ち上げるのも下手で、解剖学をネットとかでかじってからようやっと人並みにできるようになった。

肩甲骨が割と緩いので、ボールを投げようとすると腕を振りかぶりすぎて力が逃げてしまう。X脚だからなにかの拍子につい膝を押し込む。手首を反らせたまま筋肉の伸張反射でものを支えようとする。他の人が無意識に避ける身体の使い方を、避けられない。


社会が悪い。「姿勢が悪い」「口が開いてる」「膝と膝の間が空いてる」など、誰しも注意、叱責されたと思う。

見られる身体をつねにコントロール下に置くことが社会ではマナーとされている。こんなに遠いものを常にコントロールすることは私にはとてもとても難しいことに思える。そもそも身体が理不尽なのに、沢山のそれらを含みこむ社会はもっと理不尽だ。


そういうわけでわたしの身体は痛むことから逃れられない。ごめんね身体。整体受けようね。


CBDオイルなんで買わないの?

CBDオイル、もう何本目かわからない。

CBDとはカンナビジオールのことで、大麻から取れる成分です。

でもなんかいろいろな理由から合法です。一回の使用量10滴と書いてあるけど2〜3滴で十分。

なにが良いって、酒に頼る必要がなくなる。効果は酒とは同じじゃなくて、アルコールの酔い心地からハッピーな感じを抜いた感じ。

よく言われるのが「まったりする」。

アマゾンレビューでは「あんまりきかない」とレビューされてるけど実際効果はあると思う。今も実際文章書く気がなくなってきた。


助けてサルトル先生、あるいは愛が欲しいという話

夢を見た。

好きな人から好きって言われる夢。

薄暗くて薄汚い路地で、その人に「○○さんのことが好きなんです」って言われて、その時、本当にこの人のこと好きだったんだっけ? この人でいいんだっけ? なんで好きだったんだっけ?こんな顔だったっけ? 私この人の何を知ってて好きなんだっけ?この人は私の何を知ってて何が好きなんだろう? って思う夢。

悪夢じゃん。


ねこはかわいい。何時間でもじゃらしてられるし、何時間でも撫でていたい。

膝の上で寝るのがすごく可愛いので膝の上に乗せてなんとか寝かしつけようとする。私の脚と脚の間にはまってリラックスしきって寝ているねこ、温かくて小さくて、かわいい。

でもテレビのチューナーの上でも同じようにリラックスしきった愛らしい寝顔で寝ている。

私でも機械でも、彼女にとってはどうでもよくて、動かなくてあったかければいいんだなと、自分が置換可能な存在であることを確かめて安心する。


誰かの唯一無二になることが怖い。助けてサルトル先生!

発達障害の検査と診断の意味、もしくは僕らのやっていきについて。


大学生で発の達の診断受けたい人は障害学の本読むか授業取ってAもらうかしてから受けた方がいいと思う。


発達障害」が自分にとって、自分の人生にとって、自分の人格にとってなんなのか、考えをはっきり持っておかないと自分の可能性を潰してしまう可能性がある。


診断受けて「自分は障害者だから無理」とか「障害さえ無ければ」という風に思うくらいなら診断を受けることは避けた方がいい。


自分は自分だっていう境地に達してから受けても遅くはない。


それとは別にWAISは、自分の苦手や得意を知るために受けてもいいと思う。1350円払う気があればの話だけど。

私はずっと「聴覚刺激への反応が弱い」「ワーキングメモリーが終わってる」「衝動性がやばい」って親に言われてたけど、検査の結果平均より高い能力があるし、衝動性も普通であることがわかって、やる気と環境次第だなって前向きな気持ちになった。

逆に処理速度はやや遅いけどミスなくこなせることがわかって自信が持てた。

協応動作が苦手だけど人の話を聞きながらパソコンに内容を打ち込んでいくのは職場の誰より早いのは言語をいじる能力でカバーしながらやってる可能性が高いこともわかった。


やっていきましょう。それしかない。


WAIS-III受けてきた続き


〈前回までのあらすじ〉

発の達の検査を受けるも、ADHD的な特徴は見られず、やる気の問題である事がわかってしまった私!一体人生はどうなってしまうのか?!復学は?!卒業は???!


*下位検査についてはググってください。


心理士さん「というわけで、ソーシャルスキルがあるさんの場合、検査全般を総合した数値が優れているので生活で顕著な支障を来すことはないと思われます。」

私「まじすか」「いや、いろいろ忘れたり…あと段取りができなかったりとか…いろいろやばいんですが」

心「それは…言語的な意味のない記号的情報の処理が苦手なことに関係して、新しい場面に対応しづらさがあることは考えられます。自分にとって意味が掴めないと、忘れたりするかもしれません。その時は余裕のあるスケジュールを組む事が望ましいです。」

私「いや、スケジュールを組むのが苦手だし、そもそも新しい場面に適応する前に支障が生じるじゃないですか…」

心「……。」


心「また、言語理解と処理速度との差があるので、ご本人の中で葛藤とか焦りが生じることがあるかもしれません」

ここで母親の台詞がフラッシュバックする。

『ソーシャちゃんは頭の中で色々な事をいっぱい考えてるから、文章が苦手なのよね〜妹ちゃんはあんまり考えてないからさらさら文章が書けるのよね〜』

(こういうことを妹と私の前で平気で言う、母親にはそんなところがある)


私「心あたりがあります。よくメモが短すぎてわからないとか、文章が説明不足だといわれるのですが、言語理解の特徴(端的に理解、表現する)と処理速度の遅さが関係しているように思います。」

心「そういうこともあるかもしれません。」


心理士さんはみるからに若く話し方はぎこちなかったけど、感情を交えず(非常にありがたい)落ち着いて親切に説明してくれた。




〈受けてみて思ったこと〉

・偏りのない結果を見せて「私は定型発達だぞどうだ」って母親にドヤってやりたかったのに結局普通に偏った発達をしていた。

・しかも「高い言語理解に比べて処理速度が追いつかなくて焦ったり億劫さを感じる」という母親が普段から言ってることと同じ分析結果が出たので悔しい。

・処理速度が遅かったがその下位検査2つで「誤答が一つもない」こと、【数唱】得点が比較的低いがそれでも平均的なことはほっとした。頑張って発達したと思う。

・【語音整列】得点が【数唱】に比べて優位に高かったのは結構珍しいパターンらしい。人の発言を一言一句違わずに復唱する必要がある仕事をしてきてるのでその影響だと思う。仕事を頑張ってきたと思う。


頑張ってきたのはいいとして、復学は〜〜??

続く(続かないかもしれない)

2017/05/29の日記

フランケンシュタインの恋を見て、こんな、生きづらさを抱えた全ての人へ、みたいなドラマ、普通に刺さるに決まってるじゃん…悔しい…でも刺さっちゃう……って思ってた。

ぶっちゃけ、義足の幼児が一生懸命走るシーンは陳腐ギリギリのところを綾野剛の存在感に救われた感じだったね。

そんな訳でこのドラマでいう「怪物」って

人と違う恐怖

誰からも愛されない恐怖

大切な人を傷つけてしまう恐怖

のことなんだなって思った。(怪物における三つ組の恐怖)

この恐怖と闘い続けることを研さんは義足の幼児に説きながら、自分にも誓ったんだね。


これらの恐怖を胸の中に抱えない生き物が人間なんだろうか。いや、そうではない(反語)。

これらの恐怖と常に向き合い、内在的な戦いを戦い続けることが実存への道ではないか。

これらの戦いを戦い続けることが「怪物である」ことなら、何をもって「人間になる」って言えるんだろうか。

前話で言ってた「人を思いやる」とか、そういうことだろうか。それって怪物であることより、随分薄っぺらだなあ。

そんなことを考えていた。