2017/05/17の日記

過剰な炭水化物を摂った。


ストレッチをした。

身体を緩めると泣きそうになった。

固有感覚弱々マンなのでたまに自重ストレッチで捻挫するんだけど、今日は上手くコントロールしてスジをのばせたと思う。

他人とちょっと話すも全然的外れな事しか言えていない気がしてどんどん心が引きこもっていき最後は「ありがとうございました」「お疲れ様でした」をかろうじて言うことしかできなくなるなど。


2017/05/16の日記

学生相談室に行った。

学生相談室の奥にある、混んでる時にだけ使う相談室に通された。他の相談室より少し広いから、ここで話すときにはカウンセラーさんは直角に座る。直角法だ。対面に比べて話しやすいのかどうかはよくわからない。カウンセラーさんはメガネが替わっていた。お洒落なのだ。高そうなフレームだった。

会うのは1ヶ月ぶりだった。彼は少し太ったように感じた。白髪も増えたかもしれない。お互い4年分歳を取ったと思うと感慨深かった。彼は私への支援についてどう思っているんだろうか。力不足だったと、悔やんでるんだろうか。

「ぶじ、休学できましたか」と言われ、全く報告をしてなかったことに気づいて、書類等を急いで用意してくれたことにお礼を言った。

カウンセラーさんはボタンダウンのシャツにグレーのジャケットを着ていた。ボタンダウンをよく着ているが、襟はイタリアンなんとかの時もあり、まあお洒落なのだ。ジャケットも、微妙な中間色でピンヘッドストライプというのか細い細い点線が等間隔で入っており、高くはないんだろうけど、とてもお洒落なのだ。しかも嫌味がない。ジャケットの飾りボタンは生地と同系色に染められた貝で出来ていて(もしくは貝に模したプラスチック)、私の短い応答を書き留めていく手元でキラキラしている。「それで、いまの気分はどうですか」

もっと頑張ればよかった、悔しい、という主旨のことを答えると「悔しい、という気持ちもあるんですね」と言われた。ああ、テクニカルに共感されたなあ、と思った。

今日も少しずつ致命的な嘘をついてしまったし、どう感じているか訊かれてもよくわからないです!!と言った。

最後に差し掛かって「そろそろ自分だけのために生きても、いいと思いますよ」と言われた。そうですね、と言った。


ブログを始めたものの、やっぱり自分の文章を載せるのが恥ずかしくて一度もちゃんとした投稿をしていない。
自分の文章に小指の先ほども自信が無い。自分自身から発出する情報の何にも自信がない。
最近は、コミュニケーションに難がある家族の中でたった一人豊かなコミュニケーション能力と感受性を持ってしまったが故に夫とはケンカが絶えず子どもたちともすれ違い続きだった祖母の事を考えたりしている。

祖母の長女である私の母はずっと彼女の母との関係に悩んでいた。東京の国立大学を卒業し、伴侶を見つけ、3人の子どもを持ち、中古ながら東京に一軒家を手にしても、出来ないことを数えているように見えた。
私の滑舌が悪いこと、妹のアトピー、弟のおねしょ…色々なことで祖母は母に意見し、しばしば深夜に電話口で口論していた。母は、祖母の言葉を無視することができなかった。涙交じりに反論する母は、故郷の言葉に戻っていた。深夜に聞くノイローゼ気味の、東北訛りの怒鳴り声。

祖母に癌が見つかってからは、母は東京と雪深い実家とを毎週往復し、怪しげなサプリメントや、野菜ジュースや、落花生の皮や、何かの皮や、何かの種や何かのキノコを熱心に祖母に与えていた。評判の良い病院を探し、転院もさせた。それでも、祖母の癌は全身に転移し、ついに打つ手が無くなった。
「おばあちゃん、新しい病院に移ったからね」と言われて、夏休みに連れて行かれた病院は、今までのものとは違っていた。地方にたまにある、居心地のよい小さなホテルのような雰囲気だった。ロビーにはアロマが焚かれていた。ラベンダーかスイートオレンジのどちらかだった。どの窓も広く、北国の白く澄んだ日の光が大量に差し込んでいた。
少し大きくなってから、そこがホスピスと呼ばれる施設だということを知った。もっと大きくなってから、ホテルどころでは無い金額がかかることも知った。
ロビーの本棚には小説や新書が並んでいた。私はそこで島田裕巳氏の新書を読んでいた。病室には医療用麻薬で眠りっぱなしの祖母と母とがいて、退屈だったし、死にゆく祖母に伝えることがあるタイプの孫じゃなかった。そんなに人格が大人じゃなかった。今もだけど。
祖母は家族に見守られて息を引き取った。私は、どうして死は自然なのにこんなに悲しいんだろうと思った。人生で、あんなに強く疑問を抱いたことはそれまでも、それ以後にも無い。

母は「私と弟は、本当にお母さんの最期に理想的な送り方をしてあげられたと思う」と言っていた。その満足に嘘は無さそうだった。
私も完璧な娘にはなれなかったから、母のことは理想的に死なせてあげたいと思う。