2017/05/29の日記
フランケンシュタインの恋を見て、こんな、生きづらさを抱えた全ての人へ、みたいなドラマ、普通に刺さるに決まってるじゃん…悔しい…でも刺さっちゃう……って思ってた。
ぶっちゃけ、義足の幼児が一生懸命走るシーンは陳腐ギリギリのところを綾野剛の存在感に救われた感じだったね。
そんな訳でこのドラマでいう「怪物」って
人と違う恐怖
誰からも愛されない恐怖
大切な人を傷つけてしまう恐怖
のことなんだなって思った。(怪物における三つ組の恐怖)
この恐怖と闘い続けることを研さんは義足の幼児に説きながら、自分にも誓ったんだね。
これらの恐怖を胸の中に抱えない生き物が人間なんだろうか。いや、そうではない(反語)。
これらの恐怖と常に向き合い、内在的な戦いを戦い続けることが実存への道ではないか。
これらの戦いを戦い続けることが「怪物である」ことなら、何をもって「人間になる」って言えるんだろうか。
前話で言ってた「人を思いやる」とか、そういうことだろうか。それって怪物であることより、随分薄っぺらだなあ。
そんなことを考えていた。