整体受けようね
整体はよい。身体が楽になる。
身体が楽になるのはよい。たぶん。辛いのよりは、よいはず。
ものごころ付いた時には身体のどこかがいつも痛かった。よくぶつけるし、よく捻る。
行きつけだったカイロプラクティックの先生は、「若いのにこんなに凝っている」と訝しんだ。
膝の怪我をきっかけに地元の激安整骨院に通うようになり、そこの整復師さんたちも絶句させた私の身体よ。
背筋を痛いほど伸ばして座る、お腹に思い切り力を入れて立つ、膝の向きは正しいか気にしながら歩くなど、私は身体に常にフィードバックを求めながら生活していた。今も多少している。
おそらく多くの人が無意識に調節している筋肉や骨を、意識したり緊張させたりしないと怖かった。
身体はとても近くてとても遠い。自分の目で見られるのはほんの一部だ。手のひらで触ることすらできない部分も多くある。
緊張させたり意識しなければ、あるのかないのかもわからない。わからないのに他人から見たらわたしの一部だ。理不尽だ。私たちは身体といいう刑に処せられている。って誰が言ってたか。
あと身体をどう動かしていいかもわからない。ボール投げや、荷物を持ち上げるのも下手で、解剖学をネットとかでかじってからようやっと人並みにできるようになった。
肩甲骨が割と緩いので、ボールを投げようとすると腕を振りかぶりすぎて力が逃げてしまう。X脚だからなにかの拍子につい膝を押し込む。手首を反らせたまま筋肉の伸張反射でものを支えようとする。他の人が無意識に避ける身体の使い方を、避けられない。
社会が悪い。「姿勢が悪い」「口が開いてる」「膝と膝の間が空いてる」など、誰しも注意、叱責されたと思う。
見られる身体をつねにコントロール下に置くことが社会ではマナーとされている。こんなに遠いものを常にコントロールすることは私にはとてもとても難しいことに思える。そもそも身体が理不尽なのに、沢山のそれらを含みこむ社会はもっと理不尽だ。
そういうわけでわたしの身体は痛むことから逃れられない。ごめんね身体。整体受けようね。